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許されざるひと、許しを乞うひと :: 2015/02/14(Sat)

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輪郭のはっきりした恋をしたのは、多分いまの彼氏が初めてだと思う。
" 輪郭のはっきりした " というのは、たとえば自分の度をうしなうことのない範疇、という意味合いで、自分の気持ちを手にとって、ながめ、頃合いを見計らってそれをうまいぐあいにコントロールできるだけのはっきりした恋、という感じだ。
もっとも、恋する気持ちをコントロールするのがうまくなったとしても、誰かと二世をちぎるのは至難の業だというのにかわりない。





ひととひとが一緒に暮らすことが難しいように、ひととひとがおなじ(あるいは " 似た " )気持ちを持続させるのも難しい。
もしくは、気持ちをどう変換させていくのか。
恋をしていると自覚したときの自分と、その恋が成就したあとの自分、倦まずたゆまずそれを持続させていくことなんて出来るのだろうか。
ひとの気持ちが移ろいでいくのなら、恋が恋じゃなくなったときにそれはどんな輪郭の " それ " になるのか。



恋がこちら側の岸で、恋じゃなくなったものが対岸なのだとしたら、それはやっぱりまるで違うものなのか、俺にはわからない。
岸と岸のあいだには川が流れている。
ほそくて長い、けれど流れのはやい川が、おなじ目的地にむかって流れつづける。





22:31。
BGMは、Adeleで『Set Fire To The Rain』





誰かと付き合うということが、こんなにも長続きしたのは今の彼氏が初めてだ。
それまで経験してきた恋は、それを恋と呼んでもいいのなら、お粗末にも恋に恋していると言ったほうがいい。
ひとりだけ、身も世もなく恋をした男は居たけれど、それも泥に伏して砂を噛むような、きついものだった。



ひとを好きになると、個人差はあるかもしれないけれど俺の場合、「シアワセ」とか「ジュウジツ」とか「ゼッコウチョウ」なんて楽観的なことばじゃ対応しきれなくなるくらい、やつれる。
痩せほそって見るも痛々しいすがたになる、というより、心がすり減るといったほうがいい。
心を使いすぎて、心を投じすぎて、疲れ果ててやつれるのだ。



たとえば、相手への投資。
好きな男がとんでもない甲斐性なしか、びっくりするくらい金回りのわるい男だったら、惚れた側としてはどうにかして助けてあげようとするものだ。
でもそれって、たいがいは自分の不手際や考えなしの行き当たりばったりな性格が原因のパターンが多いので、むしろその負の連鎖から抜けだせなくなってしまう。
ゲイでよくあるのは、顔がものすごーく良い男が、(あらゆる理由で)信じられないほど金がなくて、十人並みの顔の男がその「顔だけ能なし男」に惚れこんでじゃんじゃん金をつぎこむパターンだ。
じっさい、そういう図式のカップルは多い。
特に歳がはなれていると、そういう状況に陥りやすい。
そうしてその手の男は、完全に度をうしなっているのだ。
歯止めをうしなって、金を与えて心を投じすぎて、知らないうちに破滅への階段をのぼっていく。
自分で自分を律することもできず、ひたすら惚れた晴れたのために、経年劣化したら見るも無残な男の世話を焼きつづける。



こんな場合もある。
ネットで知り合った男に勝手に自分の理想や想像を投影して、えんえんと続く遠距離恋愛をみずから選択してるつぼに嵌まる場合。
そういうときのひとの心理は、大抵、そこに自己中心的なドラマを仕立てて自分を主演にして演じている感じにちかいと思う。
道ならぬ恋、というか、障害のある恋に惹かれてしまっていて、ほんとうの相手への気持ちがみえにくくなってしまうこと。
(昔の俺は、きっと紛れもなくこれだと思う)



恋に恋していると、向かう先は自分自身の破滅か気持ちの消滅かの、どちらかだ。





「なんでさぁ、帰ってきた途端そんな不機嫌なの?」
いらついた口調で言う彼氏のことばに、もっともだと思いつつ引くに引けなくなった俺は不機嫌な俺を演じる。
仕事がうまくいかなかった日や、嫌なことがあった日、うまく立ち回れなかった日なんかは、終わったあとまるで泥水に雨が打ちこむみたいに気持ちが淀んで掻きまわされる。
そうして仕事終わりの俺を迎えに来てくれた彼に、釣れない態度をとってしまうのだ。
しゃべらなかったり、あからさまに空気を悪くしたり、顔をちゃんと見なかったり。



「仕事してんのは俺も一緒だし俺だって疲れてんだよ。なのにそんな態度とられるとさ、まじバカみたいだよね」
彼が厳しく言い、ついで「バカにすんじゃねぇよ」と吐き捨てる。
何様のつもりなんだよ、と。
そこで俺は初めて、彼から与えられたチャンスを受け入れ言葉としてそれを表出させることができる。
「……ごめんなさい」
まるで子どものように、俺は彼から与えられた素直になるチャンスを活かす。
すべては自分の子どもじみた性格が原因なのだと非を認め、理にかなった態度をとるべきで(「迎えに来てくれてありがとう」とか)、こんなふうに相手を不快にさせ失望させるべきじゃない。
わかっているのにときどき、どうしようもなく凶暴な自分を抑えられなくなる。
彼をひどく傷つけたいと思って、じっさい傷つけてしまったあとで、気分の悪くなるほど後悔におそわれるのだ。



「……知らん」
彼はそう言うか、あるいはまったく無言で車を発車させる。
ハンドルを切る手はいつもより粗く、まだ募るいらだちを振りきれていないのだとわかった。
俺はひたすら待つ。
彼がいつものように意地悪に、俺の腕をつねったり頭をぐしゃぐしゃに掻きまわしたりするのを待って、怒られてしゅんとした子どものように助手席のシートに身を委ねる。
車のスピードはごく平均的で、彼は怒りに任せてけっして荒々しい運転はしない。
夜は濃い紫色で、町のまばらな明かりが明滅して生活感のある対向車のダッシュボードの人形や置物がばかばかしくかなしげにこちらを見ている。
途中コンビニに寄って、朝食に食べる菓子パンやコーヒーなんかを買うためにはじめて車外に出たりする。
車を停車させて、はじめて彼は言葉を発するときもあれば、ふっと緊張がとけたように笑うときもある。
「今度おなじことで腹立ててたら、まじで知らないからね」
そう言って同時に、この話はおしまいだ、という意味も内包されていると知っている俺は、うん、とあいかわらず子どもっぽく頷く。
「はい!これでおしまい!」
たまに彼がそう口に出して宣言したりして、またいつもの彼に戻って、さっさとパン買って帰るよ、などと言う。



恋愛に関することなんて、何ひとつ確かなことはわからないけれど、ひとつだけ自信を持ってわかっていることがある。



恋人関係にある者同士はかならず、どちらか一方は、常に相手から「許されて」いる。
許されつづけている、と言ってもいい。
片方は恋人を許しつづけて、もう一方は許されつづけることで、関係の破綻を回避できているのだと思うのだ。
恋や愛とか、そういう観念的なものじゃなく、「相手を許せるか」どうかがそのあとのすべての出来事を左右するのではないか。
何か腹の立つことがあっても、それをさっぱり水に流して、元通りのテンションで恋人に接することができるか。
ひとは、誰かと関わりを持つとき、「許すひと」と「許されるひと」という役割を担わされるのだ。
否応なく。ほとんど強制的に、それは振りわけられる。
それが成立しなければ、恋愛も成立しないと、俺は思う。





恋が恋じゃなくなったものが何なのか、俺にもわからない。
愛なのかもしれないし、情なのかもしれない。
憐憫かもしれないし、拘泥かもしれない。
でも、と、俺は半ば無理やり思ってみる。



でも、そのどれも、相手に関心がなければ出来ないことだ。
愛がなければ、情も憐憫も拘泥もない。
あるのはただ、枯れ果てた大地のように広大で、途方もない " 無関心 " だけだ。





恋がこちら側の岸で、恋じゃなくなったものが対岸なのだとしたら。
岸と岸のあいだには川が流れている。
ほそくて長い、けれど流れのはやい川が、おなじ目的地にむかって流れつづける。
でも、岸は必ずどこかで繋がっているはずだ。
遠回りになるかもしれないし、ひどく歩かなければいけないかもしれない。



それでも、対岸がいつか繋がることを目指して、陸地を渡るのだ。
そして、もし出会うことができたら、そこから川の流れを辿っていけばいい。
目的地にむかって。
恋の先を見るために、それが、自分の信じる希望であることを願って。





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